(妄想)徳川埋蔵金
妄想をする前に、事実確認をしておこうと思う。
1868年4月に江戸城が無血開城となった。この時に、徳川最後の将軍も下っている。
将軍が下っている事から、「幕府の将来を憂慮した」と言う事は考えにくいのではないかと思う。
また、金額の根拠とされている、勝海舟の日記「軍用金として300万両有るが、これは常備兵を養う・・・」となっている。これは、確かに、使えない金である事を示唆していると考える事が出来るが、現在の紙幣価値で、1.8兆円程度の金額でしかない。幕府直営の兵としては数が少ないが、幕府よりの藩の兵が戦えるようにする為に使ったと考える事は出来ないだろうか?
明治新政府が「金が無いから、幕府が隠している」と考えた事がきっかけになるのなら、後世のこじつけである様に思えてならない。もし、本格的に「金が必要になっているのなら」徳川慶喜に官位を与えたり、要職に就ける理由が分からない。この時点で、埋蔵金が見つかっている可能性を排除している。また、1.8兆円は金額としては大きいかも知れないが、民主党が行った作業仕分けでもその位の無駄が出てきている。その程度の金額でしかないと思える。明治政府は、この後に怒濤の戦争ラッシュに入っていくので、この時点で1.8兆円程度の金額を躍起になる事が考えられない。また、同様に負け戦になっている時に、1.8兆円の大金を隠す必然性が解らない。
金を、民衆にばらまいてでも足止めをさせる事も出来るだろうし、「捲土重来」を考えるのなら、「旗印を下ろす事は下策」ではないだろうか?
これらの事を考えると、「徳川埋蔵金」は「300-400万両の金」ではなく、「それに相当する物」であると考えるのが妥当なのではないだろうか?
私が、当時の幕府側の人間で「捲土重来」を考えるのなら、まず「旗印(御輿)」を逃がす。江戸城を開城としても、必要な情報を持ってさえいれば、今後逆転のチャンスはあると考えるのが妥当だと思われる。
その当時、江戸城や周辺に情報が集中していたかどうかは解らないが、「正確な日本地図」や「街道を含めた道の情報」や「海図を伴う沿岸の潮の流れ」や「河川・山脈の位置や流れを含む情報」や「各藩の治水状況や石高」などが書かれた書物なのでは無いだろうか?
自分達の歴史や財政状況なんかは、燃やしてしまえばいいだけだけど、これらの情報に関しては、今と違って価値を考えると、数兆円の価値に値するし、作成に時間を有する事は間違いない。
逆に、明治政府もそれらの情報さえ有れば、1.8兆円程度の埋蔵金を探すよりも意味がある事だと考える事が出来る。
さて、それでは実際にはどうだったのだろうか?
私は、「埋蔵金」は「書物(情報)」だったのではないかと思う。
本当に現金が有ったのなら、その現金で傭兵を雇えば、白虎隊の悲劇も蝦夷政府も無いわけですからね。特に、蝦夷政府の場合には金が無いのだからって理由での敗戦が一番の様な気がする。
戦略的にも戦術的にも問題が有ったのだろうと思うけど、1.8兆円の現金が有ったのなら、戦艦を買うなどの方法で延命を行う事は出来たのではないだろうか?
それをしないで、また武器・弾薬だと言う話もあるが、即効性のある物なら使ってしまっていると考えるのが妥当だと考える。
その状況で、残されている物が何だろうと考えるのが一番良いと思っている。
また、埋めるにしても「掘り起こす」事を考える必要があるので、そんなに深く埋める事も出来ないし、掘り起こされる事も考えると、「金」を安易に埋めるとは思えない。武器・弾薬も同じで、意味があるとは思えない。武器・弾薬に至っては、幕府側の武器は明治政府から見たら時代遅れの物なのだから、それを山中に隠す事も意味があるとは思えない。その意味から、「幕府が最後に行った作業を、埋蔵作業だと考える」と、やはり隠匿したのは、情報では無いだろうか?
さて、「情報」を隠匿したとして、幕府の形が無くなってしまって、時代が「明治」になってしまえば、隠匿している必要も無いだろうし、それらの情報を使って自己の栄達を計ろうと考えるのは当然の事だと思う。
徳川慶喜がって事は考えないのですが、近い筋の人達が、明治政府にこれらの情報を渡していたと考えるのが凄く妥当なラインではないだろうか?
従って、それらの情報があったのだとして、既に情報としての価値が無くなっている。明治政府によって行われた施策で使われている"だろう"事を考えて、埋蔵金として考えられるのはごくわずかな事ではないだろうか?
勿論私は研究をしているわけでは無いし、その専門家でもないですから、妄想と言っています。
事実も知らない事の方が多いだろうし、当時の人達の意義や意識なんて事も全部無視して、自分ならって事で論を組み立てています。
でも、「情報」が戦争に勝つ為に必要な事である事は間違いないだろうし、無血開城以後も戦闘に違いがない事から、明治政府は江戸城から何も情報を得る事が出来なかったのでは無いだろうかと考えた。そう考えると、金が無かった事よりも、今後戦争を楽に進める為の情報や勝ち取っていった土地がどんな土地なのかを知っていく事の方が、今後の治安維持や反乱を抑える意味では大きいのではないだろうか、その上で路線図があれば補給の輸送にも役立つし、軍を配置する時の地理的な条件にも役立たせる事が出来る。江戸城陥落後の戦闘で明らかな違いが無い事や、局所的な反乱に手を焼いている事から、明治政府は地域に関する情報を得られなかったのでは無かったのではと考えて、幕府が隠した物が「情報」だったのではないかと妄想した。
それに、勝海舟の日記や小栗の文章などと各所に出てくるが、勝海舟がどんなに素晴らしい人間で偉大な人だったとしても、自分の文章を後世の人間がそれを読んで、想像の翼をはためかせているとは考えないだろう。
今、こうして書いている戯言も、数百年・数千年後の人類が見たら、歴史書になっているのだと思うし、可能性の一つとして、文章を私の BLOG しか残っていなかったら、研究対象になっているのだと思う。勝海舟の日記や小栗の文章もそういった類の物では無いだろうか?
勝海舟のBLOGを読んで、あぁでもない、こうでも無いって議論をしているので、小栗の文章も Twitter で小栗が呟いた事を、紡いで居るだけかも知れないのですからね。
1868年4月に江戸城が無血開城となった。この時に、徳川最後の将軍も下っている。
将軍が下っている事から、「幕府の将来を憂慮した」と言う事は考えにくいのではないかと思う。
また、金額の根拠とされている、勝海舟の日記「軍用金として300万両有るが、これは常備兵を養う・・・」となっている。これは、確かに、使えない金である事を示唆していると考える事が出来るが、現在の紙幣価値で、1.8兆円程度の金額でしかない。幕府直営の兵としては数が少ないが、幕府よりの藩の兵が戦えるようにする為に使ったと考える事は出来ないだろうか?
明治新政府が「金が無いから、幕府が隠している」と考えた事がきっかけになるのなら、後世のこじつけである様に思えてならない。もし、本格的に「金が必要になっているのなら」徳川慶喜に官位を与えたり、要職に就ける理由が分からない。この時点で、埋蔵金が見つかっている可能性を排除している。また、1.8兆円は金額としては大きいかも知れないが、民主党が行った作業仕分けでもその位の無駄が出てきている。その程度の金額でしかないと思える。明治政府は、この後に怒濤の戦争ラッシュに入っていくので、この時点で1.8兆円程度の金額を躍起になる事が考えられない。また、同様に負け戦になっている時に、1.8兆円の大金を隠す必然性が解らない。
金を、民衆にばらまいてでも足止めをさせる事も出来るだろうし、「捲土重来」を考えるのなら、「旗印を下ろす事は下策」ではないだろうか?
これらの事を考えると、「徳川埋蔵金」は「300-400万両の金」ではなく、「それに相当する物」であると考えるのが妥当なのではないだろうか?
私が、当時の幕府側の人間で「捲土重来」を考えるのなら、まず「旗印(御輿)」を逃がす。江戸城を開城としても、必要な情報を持ってさえいれば、今後逆転のチャンスはあると考えるのが妥当だと思われる。
その当時、江戸城や周辺に情報が集中していたかどうかは解らないが、「正確な日本地図」や「街道を含めた道の情報」や「海図を伴う沿岸の潮の流れ」や「河川・山脈の位置や流れを含む情報」や「各藩の治水状況や石高」などが書かれた書物なのでは無いだろうか?
自分達の歴史や財政状況なんかは、燃やしてしまえばいいだけだけど、これらの情報に関しては、今と違って価値を考えると、数兆円の価値に値するし、作成に時間を有する事は間違いない。
逆に、明治政府もそれらの情報さえ有れば、1.8兆円程度の埋蔵金を探すよりも意味がある事だと考える事が出来る。
さて、それでは実際にはどうだったのだろうか?
私は、「埋蔵金」は「書物(情報)」だったのではないかと思う。
本当に現金が有ったのなら、その現金で傭兵を雇えば、白虎隊の悲劇も蝦夷政府も無いわけですからね。特に、蝦夷政府の場合には金が無いのだからって理由での敗戦が一番の様な気がする。
戦略的にも戦術的にも問題が有ったのだろうと思うけど、1.8兆円の現金が有ったのなら、戦艦を買うなどの方法で延命を行う事は出来たのではないだろうか?
それをしないで、また武器・弾薬だと言う話もあるが、即効性のある物なら使ってしまっていると考えるのが妥当だと考える。
その状況で、残されている物が何だろうと考えるのが一番良いと思っている。
また、埋めるにしても「掘り起こす」事を考える必要があるので、そんなに深く埋める事も出来ないし、掘り起こされる事も考えると、「金」を安易に埋めるとは思えない。武器・弾薬も同じで、意味があるとは思えない。武器・弾薬に至っては、幕府側の武器は明治政府から見たら時代遅れの物なのだから、それを山中に隠す事も意味があるとは思えない。その意味から、「幕府が最後に行った作業を、埋蔵作業だと考える」と、やはり隠匿したのは、情報では無いだろうか?
さて、「情報」を隠匿したとして、幕府の形が無くなってしまって、時代が「明治」になってしまえば、隠匿している必要も無いだろうし、それらの情報を使って自己の栄達を計ろうと考えるのは当然の事だと思う。
徳川慶喜がって事は考えないのですが、近い筋の人達が、明治政府にこれらの情報を渡していたと考えるのが凄く妥当なラインではないだろうか?
従って、それらの情報があったのだとして、既に情報としての価値が無くなっている。明治政府によって行われた施策で使われている"だろう"事を考えて、埋蔵金として考えられるのはごくわずかな事ではないだろうか?
勿論私は研究をしているわけでは無いし、その専門家でもないですから、妄想と言っています。
事実も知らない事の方が多いだろうし、当時の人達の意義や意識なんて事も全部無視して、自分ならって事で論を組み立てています。
でも、「情報」が戦争に勝つ為に必要な事である事は間違いないだろうし、無血開城以後も戦闘に違いがない事から、明治政府は江戸城から何も情報を得る事が出来なかったのでは無いだろうかと考えた。そう考えると、金が無かった事よりも、今後戦争を楽に進める為の情報や勝ち取っていった土地がどんな土地なのかを知っていく事の方が、今後の治安維持や反乱を抑える意味では大きいのではないだろうか、その上で路線図があれば補給の輸送にも役立つし、軍を配置する時の地理的な条件にも役立たせる事が出来る。江戸城陥落後の戦闘で明らかな違いが無い事や、局所的な反乱に手を焼いている事から、明治政府は地域に関する情報を得られなかったのでは無かったのではと考えて、幕府が隠した物が「情報」だったのではないかと妄想した。
それに、勝海舟の日記や小栗の文章などと各所に出てくるが、勝海舟がどんなに素晴らしい人間で偉大な人だったとしても、自分の文章を後世の人間がそれを読んで、想像の翼をはためかせているとは考えないだろう。
今、こうして書いている戯言も、数百年・数千年後の人類が見たら、歴史書になっているのだと思うし、可能性の一つとして、文章を私の BLOG しか残っていなかったら、研究対象になっているのだと思う。勝海舟の日記や小栗の文章もそういった類の物では無いだろうか?
勝海舟のBLOGを読んで、あぁでもない、こうでも無いって議論をしているので、小栗の文章も Twitter で小栗が呟いた事を、紡いで居るだけかも知れないのですからね。
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